一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

通院する必要

昨日は2か月に一度の、
脳神経外科の診察の日。
もう回復不可能の病気なのに、
受診する意味があるのだろうか?

言われたことはいつもと同じで、
『また、足が突っ張ってきていますね、来月MRIを年に一度とりましょう、症状が悪化していた場合去年より(脊髄の周りの白い影が)瘦せている可能性かがあるから』
ということでした。
半年に一度の血液検査を済ませ、
来月28日にMRIの予約を入れました。


今月は3か月に一度の、精神科の診察日も再来週にあります。
外出と言えば、通院以外にはないのに、
どうしても気が重くなります。
もっと私の病状を把握して、
的確な治療法を打ち出してくれるのなら違うかもしれません。
かみ合わない言葉ばかり聞くのは、
メンタルが痛めつけられます。
精神科に関しては、
セカンドピニオンも考えています。
うつ病と一括りにされていますが、
私にはいろんな症状があるので、それを確かめたいです。
今の精神科には、
10年近く通院しています。
単純に、(セカンドピニオンを探す)行動を起こすのが億劫なだけでした。
2年前身体の病気が発症と時を同じくして、
投薬量を5分の1にされました。
8年の間24粒の抗うつ剤を処方し続けて、
いきなり『体に負担になるから』と言い減薬するというのは解せません。


今の精神科の前の病院では、
2時間かけて私の話を聞いてくれました。
自分に合う病院を探して、
4件目の老人総合病院にある精神科でした。
当時40代の私は本来なら受け付けてくれないのですが、
症状が悪かったのか任意で診察してくれました。
印象に残っているのは、
私が育児ノイローゼになった時『このままこの子を育てたら私は殺すと思いました』
と話したら医師の表情が変わったこと。
待合室で看護婦がまるで幼い子供に話すように、
私に注意を促したことです。
例(わかるかな?先生は貴女と同じ年でお友達なのよ、でも今はお話ができないの)
という言い方をされました。
それでもその医師が一番私のことを、
わかってくれていたと思っています。
残念なことに、その医師が転院され、
任意で診察してくれなくなり、今の精神科を紹介されました。


その後、三男が岩手県の大学へ行っている時(6年前)
私は精神的に最悪な状態で、三男を頼って岩手県に移住するつもりでした。
(離婚の話が出ていました)
住民票を岩手県に移して、
岩手の盛岡駅前の精神科にかかりました。
その時の医師は私を診察をして、
『貴女は生活保護を受けなさい、私が一筆書けば役所で通してくれるから』
と言われました。
医師が診れば、それ程私の状態は悪化していたのだと思います。
でも私は生活保護を受けると、リスクが伴うと思い拒否しました。
2年程岩手県に住みましたが、
就職先が見つからず、貯金も底をつき地元に戻ることにしました。


またその当時のことは、追って投稿したいと思います。

今朝主人が銀ちゃんの散歩に行った時、
昔ママ友だった人が走ってきて『一恵さん、この前救急車で運ばれたんだって?』
と聞かれたそうです。
主人『ちょっと過呼吸になっちゃって、手足が硬直して治らないから救急車を呼んだんだ』
ママ友『私も仕事中になった事あるけど、ストレスが原因と言われたよ』
そんな会話をしたそうです。
主人は話の内容よりも、
私が救急車で運ばれたことを知っていることが不思議だったようです。
こんな片田舎では、
噂が広まるのは風よりも早いと感じました😯
その上車椅子で出歩くと、
瞬く間に知れ渡るのは確実だと思いました。
障害者になると、世間の目にさらされ、
住み辛く生きづらいというのが正直な気持ちです。

皆さまにとって良い一日でありますように🙏