一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

いつか話すべきこと

私と主人との間に亀裂が入ったのは、
22年前です。
その前からずっと主人に嫁姑問題のことで愚痴を言ってきました。
多分主人も逃げたかったのでしょう。
主人の携帯には、若い女性のプリクラが貼られていました。
『この人誰?』と聞いたら
『会社の若いバイトの子、無理やり貼られたんだ』そう言いながらどこか嬉しそうでした。
ある時メールばかりしている主人がいました。
にやけながら嬉しそうに返信していました。
主人がお風呂に入った時、携帯を覗いてみてしまいました。
内容はここに書けないような、いやらしい男女の会話でした。
一回り年下の彼女は『奥さんに悪いよ~』と書いてありましたが、
『別に関係ないよ』と主人は返信していました。
最後は『今から一緒にお風呂入ろうね~♡』と書いてありました。
その時はまさかと信じられないという気持ちと、
嫉妬心でいっぱいになりました。
その時思い出せば『お前も年をとったなぁ~』と言う主人の口癖でした。
メールを見た時主人の心の中に、その若い女性の存在があったのだと確信しました。
当時三男は未就学児で、3人の息子を抱え、
離婚をして育てる覚悟が持てませんでした。
私は主人の定期預金を解約して、
これは慰謝料だと思いすべて使い切りました。
でもその後も主人は、行先も言わず出かけることが多くなりました。
ある時電話した時、パチンコに行っていると言いながら、
何も物音がしないのです。
後から推測するに、女性と一緒ではなかったのではと思いました。
次男が休学中の大学に復学する時、
千葉県に行った帰りのサービスエリアで女性に別にお土産を包んでもらっていました。
その時まだその女性と繋がっているのだと思いました。
そして私の気持ちも離れていきました。
ただ息子達を育てるだけの、形だけの夫婦になりました。
私には好きな人ができました。
その人は私より12歳年下で、知り合った当時20代でした。
彼も既婚者で、まだ生まれて間もない子と3歳の2人の父親でした。
彼と不倫関係になり、すぐ奥さんに知られることになりました。
ある時、彼の携帯から電話があり出たら奥さんでした。
『どうしても会って話がしたい』と言う内容でした。
待ち合わせ場所と時間を決めて奥さんと話しました。
まだ赤ちゃんの下の子を抱っこして、
3歳の娘さんは『この人誰?お父さんは?なんで一緒じゃないの?』と奥さんにきいてました。私はその光景と『彼の精神的な弱さも含めて受け入れて結婚した、絶対離婚はしません、別れて下さい』の言葉と凛とした姿勢に圧倒されました。
そして『申し訳ありません』そう頭を下げ続けました。
でも彼とは同じ職場で、別れを決めた後も毎日顔を合わせました。
彼は統合失調症でした。
同じ空気を纏っていると、奥さんが私と会った後ショックを受けていたと聞きました。
結局私達は別れられず
『俺が家庭を捨てるからいっしょになろう』と言う彼の言葉に頷いてしまいました。
3年間半同棲をしていました。
でも、運命はちゃんと終わりを用意してありました。
この家を建てるタイミングと私達が退職するタイミングが重なりました。
たくさん話し合う中で私は息子を捨てられないと確信し、
彼も家庭に戻って行きました。
私は3年間彼の奥さんと子供達を苦しめ続けました。
そして私の息子達にも知られ軽蔑されました。
今私が不自由な体になったのも必然だと思います。
息子に嫌われ続けていることも当然です。
悪い行いをしたら、必ずわが身に返ってきます。

中島みゆきさんの”エレーン”(実話)という曲を聴いた時、
『なに?みゆき、私の為に書いてくれたの?』そう思いました。


”寂しさだけは真実だったと思う”という歌詞に共鳴しました。

中島みゆき/エレーン/Covered by BEBE
皆さまにとって良い一日でありますように🙇‍♀️
最後まで読んでいただきありがとうございます。