一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

母親との関係①

2週間前に実母と電話で話をしてから連絡はとり合っていません。
私の気持ちに余裕がなかったので、酷い事を実母に言ってしまったという自責の念があります。それまで母親との関係がどのようなものだったのか、その時母親に言いたかったことは何だったのか、それを踏まえてこれからどうすべきか考えます。
私の闇の部分なので、不快に思われるかもしれません。
そのような方はどうか、スルーしてください🙇‍♀️(申し訳ありません)
私の過去を紐解くことで、今何故生かされているのか、これから何を目的に生きていくべきか答えを導きだしたいです。


私は2歳になってまだおむつもとれていない時に、山深い田舎から市街地まで引越してきました。その後すぐに、保育園ではなく私立の幼稚園に4年保育で入れられました。
実母はフルタイムで働き始め、私は2歳で鍵っ子になりました。
参観日、運動会、卒業式に実母は出席してくれることはありませんでした。
当時の通信表には”情緒不安定”の文字がありました。
当時市立の幼稚園の費用は、高校の学費より高額だったと後に実母から聞かされました。
それがどれほどの価値か、私にはわかりません。
でも、その僅かな金銭の為に実母は私の一番大切な時期を犠牲にしてきたのだと思いました。


実母の厚みのある少し荒れた手は、私の髪を優しく撫ぜてくれることはありませんでした。
いつも気に入らないと、その手で叩かれました。
何度も叩かれていると、冷静にその光景を分析するようになりました。
実母は叩く時、舌をぐっと嚙んで手を振り上げ思いっきり叩きます。
私は、その口元を見ると手をあげる前に目を閉じて身構える癖がつきました。
実兄にもいつも暴力を振るわれていましたが、私の顔に痣ができた時も決してかばってくれませんでした。
親戚が来ると『お前は奥の部屋入って、出てくるんじゃない』と言われました。
その時は、トイレにはいけず、食事もあたえてはくれませんでした。
褒められた事は、一度もありません。
友達を連れて行くと『あの子と付き合うからお前は悪い子になった』といつも言われました。風邪をひいた時は『お前のせいで仕事を休まなきゃいけないじゃないか!』と𠮟られました。母親と一緒に遊んだ事や、家族と旅行や外食も一度もありません。
私の意思は無視で、無理やり塾にいろいろ行かされました。
私は成績が(よくできる、できる、がんんがろうの三段階)allがんばろうでしたので何とかしようと躍起でした。
頭が良くなるという噂で、扁桃腺の手術を受けさせようといろんな医者にかかった事もありました。
私には、幼い頃の写真は4枚しかありません。
小学校の頃、友達に七五三の写真を見せ合うという時に兄のはありましたが私のは無く
とても虚しさを感じました。

話は長くなるので、今回はこれで終わりたいと思います。
今子育てをしている方や、同じような母親に育てられている方に何かのメッセージになればいいと思います。
今日も我が家の王子と姫は元気です
お立ち寄り頂きましてありがとうございます🙇‍♀️