一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

母親との関係②

これは、デリケートな私の闇の過去の一コマです。
不快に思われる方がいると思います、どうかそう思われましたらスルーしてください🙇‍♀️
触れずにいようと思いましたが、もし同じような境遇の方がいらっしゃったら何かの参考、励みにして頂けたらと思い投稿します。


私は、高校2年の夏の終わりくらいから、非行グループと付き合うようになりました。
その時から家より、外の世界の楽しさと自分を見てくれるという嬉しを感じ始めました。
毎日家に帰るのが遅くなり、週末はほぼ家には帰りませんでした。
髪は赤く染め煙草、校則違反の全てをしてきました。
グループの中には高校中退する人もいました。
その子達は、中退後必ず後悔の言葉を口にしていました。
だから、私は校則違反はしていましたが中退する気はありませんでした。
その頃、今の主人と会いました。
主人は当時、県西部の非行少年らの所属する暴走族のリーダーでした。
出会った時には、主人は高校中退していました。
数か月後、私は妊娠しました。
主人はオートバイを売り『このお金で中絶して欲しい』と言いました。
私は、まだ高校生でしたので、それを受け入れました。
誰にも言えず、一人で産婦人科に行き手術を受けました。
その頃自分が何をしたのか?何をしたかったのか?何も考えていませんでした。
その数か月後、私は2度目の妊娠をしました。
その時は【今度は産みたい】と思いました。
主人も『結婚しよう、子供を産んで育てよう』と言ってくれました。
でも、次の日義母から家に電話がありました。
義母は実母に『うちは由緒ある家柄だから、お宅の娘を嫁として認められない、お腹の子は処分してもらわないと困る、うちの息子は前回、大事なバイクまで売り払ったみたいだけど、なんてことをしてくれたんだ、お宅の娘は最低だね』そう一方的に言ってきました。
電話を切った後実母は『この淫乱女!汚らわしい!早く堕ろしてこい』と私に言い放ちました。私は天国から地獄に落とされた気持ちでした、浅はかでした。
主人は義母からもらった数万円を私に手渡しました。
私は主人にも見放された気持ちで、もう一人で産むことはできないと判断しました。
2回目の中絶手術は、部分麻酔でしたので何を行っているか丸見えでした。
女として屈辱的で、どこに自分の気持ちを持っていっていいのかわかりませんでした。
術後6人の大部屋に入れられましたが、私は布団を被って溢れる涙を抑えられませんでした。多分嗚咽は聞こえていたと思います。
周りはお産した幸せそうな人ばかりの中、一層虚しさと疎外感を感じました。
そして次の年の初めに3回目の妊娠がわかりました。
主人と別れることもできたと思います。
でも、私の家族よりそんな主人の方がまだマシでした。
もちろん3回目の妊娠がわかった時も、大人たちは皆ボロクソに私達を罵るだけでした。
私は半年の間に2回以上中絶手術をすると、子供が二度と産めなくなると聞きました。
でも、誰にも望まれない子供を産んで育てる勇気と経済力と覚悟、度胸がありませんでした。又、あの手術台に乗るんだ、そして二度と子供が産めない体になるかもしれない。
大人たちに一言も返す言葉もなく、諦めようとした時主人が『親が許してくれそうだ』と言いました。私は産ませてくれるのなら、何でもいいとさえ思いました。
実母は、主人の家周りに主人の評判を聞き歩きました。
義母の言う由緒正しい家柄とはほど遠い悪評判ばかりでした。
『いつもシンナーを吸っているから、警察が毎日家のまわりを見張っているらしいじゃないか、しかも前に付き合っていた女にも堕ろさせたらしいね、あんな男でいいのか?』と実母は言いました。県西部でヤンキーなら知らない人はいないという程主人は素行が悪かったのです。


あの頃、もし実母がその子を産んで一緒に育てようと言ってくれたら、どんなに幸せだったでしょう。前の2人の子の中絶手術の後、ひと言私の体と心を思いやる言葉があったのなら違ったと思います。そして私のお腹の中で死んでいった、紛れもない実母の孫たちに対して『申し訳ない』のひと言があったのなら、私はもっと自分を大切に思えたでしょう。


お母さん、私は2歳の頃からいつも貴女を待っていたんだよ、私を迎えに来てくれること、他の誰でもない私そのものを受け入れて私という人間を見てくれることを。
一度もその口から『ごめんね』の言葉は聞けないままなんだね。
何故私を産んだの?何故ちゃんと育てる事ができないのに母親になったの?産んでからお前なんかって言われても・・・じゃあ私はどうすれば良かったの?私は貴女の世間体を良くするための道具じゃないんだよ。


この世に生まれてはいけない命などあるんですか?新しい命に何の罪があったのですか?
私馬鹿だからわからないよ、分かるように教えてよ,あの子達があなたに何か悪い事したの?人として女の先輩としてあなたは最低だよ、もう泣くのは疲れたよ。

目に見えなくても手に触れなくても、この胸で抱けなくても私は亡きものとして考えられませんでした。ずっと消えない体と心に深いとても深い傷を負いました。
今も手を合わせています、懺悔しています今日も明日もその先も・・・・。
どうか私のような悲惨な思いをしないでください。
お立ち寄り頂きましてありがとうございます。