一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

うつ病の原因①

自分はもともとうつ病となる要因はあったと思っています。
※自分の言葉を隠して傷ついていても笑っています。
※頼まれるとNOと言えません。
※常に自分が悪いと思い、追い詰めるところがあります。
そして結婚を機に悪化していきました。
※私はまだ未熟なまま結婚し、子供を産んだ。
※義両親との確執、(プライバシーの侵害、人格の否定)
 旧家のしきたりが重荷になった。
 隣家との付き合いの難しさ(悪評があったので、冷たい視線にさらされた)


義母は事あるごとに『よくこんな娘を結婚させたね、あんたの親は最悪だ』
と言いました。
それを聞いていた周りの人は、
ばつが悪い顔をしてただ黙って頷くだけでした。
義両親の欲しかったのは嫁ではなく、
人件費のかからない義父の店の店員と家政婦でした。
結婚式の翌日義父は、私の目の前に白衣を突き出し
『今日からこれを着て店に出ろ』と言いました。
義母は『私は仕事で家事ができないから、全部頼むね』
と私に丸投げにしてきました。


私達夫婦の部屋は無く、
襖続きの奥の部屋が寝室になりました(襖を開けるとひとつの部屋になる)
私にはプライバシーはなく、意見を言うこともできませんでした。
あまりの辛さに、階段の上に立ち
『ここから落ちてお腹の子が死んだら、私元に戻れる?』そう何度も思いました。


産後病院から家に帰ったら、
親戚一同が居間に勢ぞろいでした(30人ほどいました)
その奥には布団が敷いてありました。
義父は『お前はここで寝ろ』と言いました。
私はみんなの目の前で寝かされ、そして授乳もしました。
義父は『お菓子でも食べな』と言いました。
ひとりのおばさんが『一恵ちゃんお菓子どうぞって』と気を使ってくれました。
でも『お前じゃない、こいつは食べなくていい!』と義父は大声で言い放ちました。
その言葉で私と部屋中の空気が凍りました。
私は難産で(助産師に言われました)体調が優れず、
産塾熱を出しました。
義両親は『お前ならいい、孫じゃなければ』と長男だけ連れて行きました。
産後私は、ただの子供を産む機械になりました。
抱きたい時に子供を、抱かしてもらえませんでした。


26年間、義父の命令口調と義母の無神経な言動で、
私は心身共に病んでいきました。


パニック障害、摂食障害、睡眠障害、うつ病、不安神経症、自律神経失調症になりました。
手足顔の皮膚は黄色くなり、瘦せこけ、30歳で白髪になりそれが抜け落ち、
そして真っすぐ歩けなくなっていました。
誰の目から見ても異常な事はわかりました。
精神科を紹介されて行った時
『本当は入院して治した方がいいけど』と医師に言われました。
でも『私子供を育てなきゃいけないし、仕事辞めたくありません』
(当時スーパーの嘱託職員でした)と断りました。
三人の息子の養育費と自分がようやく認められた職場を捨てたくありませんでした。
あり得ない量の抗うつ剤を飲んで、
『お前死ぬぞ!』という主人の言葉を振り切って仕事に行きました。
職場の同僚には『あなた人として終わっているね』と言われました。


私はこの経験を経て、嫁として娘として母親として、
そして人として何がいけなかったか・・自問自答しています。
これから先の人生は、その答え探しをしたいと思います。

家の中ばかりにいるのがもろバレですね。
禰豆子さんの写真しか載せられません😅
できれば、今に至る細かい経緯を投稿したいと思います。
話は前後して、分かりにくくなるかもしれません。
同じ病気を抱えている方や、同じ悩みを持っている方に、
何か手がかりを見つけ光明を見出してもらえたら幸いです。


皆さまにとって良い一日でありますように🙏
最後まで読んでいただきありがとうございます🙇‍♀️