一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

子育て

長男の子育て。
初めての子で、何もわからないまま、
無理やり親になっていったという感じでした。
生まれた時の体重は、3660gの巨大ベビー。
陣痛はかなり酷かったのですが、
子宮が開かず無理やり分娩室に入りました。
痛みで悲鳴をあげるも、
子宮が開かないので吸引分娩になりました。
最後には助産師が私の腹部に乗り、
上から抑え医師が吸引で引っ張り出しました。
『難産でしたね』という助産師。
生まれた子供の頭には、
大きな傷ができました。
『ひと月すれば傷はなくなるから』
と言われましたが、
顔は酷く腫れていて、とても可愛い赤ちゃんとは言えませんでした。
母乳はほとんど出ませんでした。
でも三か月までは頑張ろうと決めました。
一歳半、高熱を出し熱性けいれんを起こしました。
それから毎月熱を出しては、熱性けいれんを起こしました。
熱を出す度、抗生物質、座薬をもらい、
首、脇を冷たいタオルで冷やして一晩中看病しました。
そして毎回脳波の検査と小児科医から
『この子結婚できなくなるよ!』と脅かされました。
幼稚園に入っても、
毎月熱を出し、休むことが多い子でした。
私は、熱を出す事を極端恐れていました。
なので寒いと思えば、ありえないくらい厚着をしました。
朝すべての支度(着替え等)は私がしました。
幼稚園から帰ってくると、
子供は立っているだけで、手洗いうがいをさせ着替えさせました。
当時その様子を見ていた友人は、
『冬彦さんになっちゃうよ』
と当時流行っていたドラマの主人公のことを指して言いました。
小1の時、あまり熱ばかり出すので扁桃腺を切る手術を受けました。
手術は上手くいき、一週間で退院しました。
その後小学校へ登校したのですが、
帰宅後、血を吐き始めました。
異様を感じたので、
すぐ救急で手術を受けた総合病院へ直行しました。
時間外の救急処置室で、
大量の血を吐きました。
ベッドの周りは血の海で、
服を何度着替えても、血で赤く染まりました。
当直医と看護婦は呆然とし、
『私の手には負えないので、手術執刀医を呼びます』と言いました。
体温、血圧、脈が一気に下がり、
(この子は死ぬかもしれない)と思いました。
当時7歳の長男も、周りの異様な雰囲気に。
『お母さん、僕どうかなっちゃうの?』と不安な声を出しました。
医師が言うには、扁桃腺手術後かさぶたが無理に剝がれ落ち、
出血しとまらなくなったのだろうということでした。
多分1リットル以上の出血があり、
次の日の朝まで血が止まらなければ再手術になると言われました。
幸い朝までに出血は止まりましたが、
『今まで扁桃腺の切除手術はたくさんしてきたけど、こんなことは初めてです』
と医師は驚いていました。
それから体が弱いという認識から、
微熱でも学校は休ませ、大事をとり過保護になりました。
今にして思うと、
本人の意思関係なく親がすべて決めて、やってしまいました。
あの長男の性質は、
生まれもったものプラス親の責任ですね。

冷静になって、深く反省しました。
長男とは徐々に歩み寄りができたらいいな…と思います。


今日三男に、お菓子とか飲料を土曜日着で送りました。
息子達にせめてもの償いを、
これから先、ライフワークにしていきたいと思います。


皆さまにとって良い一日でありますように🙇‍♀️