一恵と禰豆子のその日暮らしのブログ

愛猫と引きこもりの生活、山あり谷あり時々沼あり😊悲喜こもごもの毎日をブログへのせて。。

偽ること

昨日連絡を絶っている友人から着信がありました。
昨年9月にチェーンメールをしてきて、
その後送信削除だけをして一言もないことに、
私が不信感を抱き連絡をしなくなった友人からです。
もう10か月近く経つと、
自分でも何をそう怒っていたのかわからなくなるほどです。
正直折り返し電話をすることも考えました。
そして何事もなかったように、話すのもありなのかな?と。
でも、引きこもり生活が長くなるにつれ、
人と喋ることが億劫になります。
しかも相手の価値観に合わせて、
作り笑いする事が苦痛です。
なので彼女には申し訳ないのですが、放置させていただきました。


実母から相変わらず、おに電があったので、
昨日意を決してこちらから電話しました。
『何かあったの?』と聞いたら、
『たまにはあんたの声を聞こうとして、電話したんだよ』という返事。
あ~この母も私のこと娘だと思っているのかな・・そう思いました。
でもだからどうという心の変動はありません。
3分という会話を終えて、
ただそれだけで私的には十分でした。
多分これから先、
私から会いに行く事はないでしょう。
でも次男もきっと今の私と同じなのだと、
同時に思いふと笑ってしまいました。
そう思ったら、次男にこちらからアクションを起こすのをやめようと決意しました。


昨日主人に6月のひと月分の食費を発表しました。
3人で65000円(安いんか?)その数字に、
『じゃあ長男からは生活費は今のままでいいな』という言葉でした。
私は長男のゲームの課金10万円、手術費(予想)20万円と、
先日長男あてに届いたルイヴィトンの財布のことは言えずにいました。
何よりも主人に借りている車の頭金を、
踏み倒そうとしていることも。
主人は今月ご祝儀と車検代が、
別途支出費としてあることも見ていますが、
『もうこの馬鹿親子に関わると神経が磨り減るので🙈🙉🙊』と決めました。


昨日一日を通して、
今まで自分が正しいと思っていたことが、
違うんじゃないかと再認識しました。
(自分を偽ることも大事だと)
そして引きこもりをして、
社会から隔離されていると、人とコミュニケーションをとることが困難になることも。

(画像はお借りしました)
禰豆子さんがまだ本調子ではないので、違う子の画像を載せます😅
皆さまにとって良い一日でありますように🙏

本当の気持ち

三男からパソコンのことで連絡がありました。
私の予算と能力に応じた、
新しいPCを3択で選んでくれました。
三男がいち推しの物に決めました(接続する時大丈夫?私)
ついでに奨学金の返済の用紙が、郵送されてきたことも。
あと(これが一番肝心)三男の近くに住んでいる、
次男に21日誕生日だから、私の代わりにプレゼントを渡して欲しいことも。
私だけが知っていることなんだけど。
次男の出産予定日(S62.7/17)が、石原裕次郎さんの命日なこと。
34年前ニュースで見て(この日に生まれていたら誰も忘れないよな)と思いました。
長男に『お腹の中に赤ちゃんがいるんだよ』そう言って、
ボールペンで突き出たお腹に、赤ちゃんの絵を書いて教えた事。
それを消さずに妊婦健診に行き、
医師にぷっと吹かれ笑われたこと。
生まれてすぐ親友に『今朝生まれたんだ』と電話したら、
『残念だったね、又男の子で』そう言われて落ち込んだこと。
長男の名前が住職のような難しい漢字で、
みんな読めなくて苦労したから、
次男は誰でも読んでくれる名前にしたこと。
赤ちゃんの頃、私にしか懐かなかったこと。
添い寝をしている時、
私の唇を吸って寝てしまったこと。
2歳の時熱性けいれんを起こし、
なかなか治まらず、救急車から降りてきた隊員に
『このまま連れて行きましょう』と言われ口論になったこと。
搬送先の病院の先生に『この子てんかんですか?』と必死になって聞いた時、
暗い顔で頷かれたこと(これ以降は発作がなく、てんかんではありませんでした)
父方の叔母さんがてんかんで、19歳で亡くなっているので(遺伝の可能性があるのではと)
ずっと大きくなるまで怯えていたこと。


いろんな思いが頭を巡るけど、
不貞をしたことが絶対許せず、
今でも私を心底憎んでいること。
だからせめて三男からと言って、
次男が欲しいものを買って欲しいとお金だけ渡したいのだけど・・・。
それさえ拒否られると思い、
三男との連絡が滞ってしまっていること。


次男とは2年会っていないので、
私が車椅子生活になっていることを知ったら、どんな顔するかな・・・?
曲がったことが大嫌いな次男だから、
苦笑する顔が目に浮かぶよ💦

昨日の具合が悪そうな禰豆子さん。
鼻のところが少し茶色になっているのは、
毛ずくろいでできた痣らしいです。(特に心配はいらないそうです)
まだ次男は禰豆子さん見ていないよね。
会ったら可愛がってくれるかな・・・?


皆さまにとって良い一日でありますように🙏

明けない夜

金曜日から禰豆子さんの具合が悪くなりました。
朝いつもより元気がないと思っていました。(クリパスキュラー(薄明性))
長男の夜勤明けの朝食を用意して、
寝室へ行きました。
いつもならお気に入りの場所で、
禰豆子さんは一人で寝に行きます。
でも昨日は寝室のベッドの上に、
自分から行きました。
午後1時まで寝ていて、起きても餌を欲しがりませんでした。
その後1時間くらいして餌をあげたら、
何度も吐きぐったりしてしまいました。
朝6時頃から夕方まで殆ど何も食べず、
寝ているだけでした。
こんなことは初めてです。
不安で病院へ電話をかけてしまいました。
寝ている間は、そっとしておいて19時まで診察時間があるので、
それまでに来院してくださいと言われました。
主人が帰ってきて、
病院へ直行しました。

待ち時間30分ほどして呼ばれ、
主人が禰豆子を連れて病院内へ行きました。
駐車場で様子を窺って見ていたら、
医師が点滴の袋を持っている様子が見えました。
私は居ても立っても居られず、
車から出ました。
気持ちは前に進んでいるのに、
足が上手く運べませんでした。
ようやく院内に入り、主人と医師が診察室から出てきました。
『腸に異物があります、便と一緒に出る薬と絶食してもいいように薬を打ちました。様子を見て具合が悪いようでしたら、検査します。それによっては開腹手術が必要になります』
と言われました。
それから徹夜で看病をしました。
夕方まで調子がイマイチでしたが、
徐々に回復してきました。
朝日が昇っても明けない夜ってあるんだな・・と思いました。
まだ今日は様子を見ようと思います。


本当は土曜日、精神科の受診日でしたが、
禰豆子さんの具合がこんな感じでしたので、
来週へ変更するつもりでした。
でも電話したら、木曜日からお休みに入るとのこと。
主人に言うと、騒ぎ立てるので、
内緒で一人で(月~水の間に)受診をしに行こうと思います。
一人で出かけるのは、
半年ぶりなので、ちょっぴり不安ですが、
多分いけるっしょ!
今回のことで感じたのは、
禰豆子さんのことが自分の不調よりしんどいということ。

早く元気になろうね🤞

無になる

10日ほど前から、実母から鬼電があるが、
折り返しの電話ができずにいます。
特に理由はないのですが、
話を今誰ともしたいと思えなくて・・・放置状態。
車で20~30分の所に実家がありますが、
1年半以上行っていなくても、何とも思いません。
実母と会う理由が見つからない(コロナがないとしても)
電話で話す事なんて、何もありません、
だってお互い生活になにひとつ変化ありませんから(死ぬこと以外)


昔のママ友が要介護のお姑さんを、
見送った時『亡くなると不思議といい思い出しかない、今どんなに折り合いが上手くいっていなくてもそういうものだよ』そう教えて下さいました。
知人に『父親より母親を亡くした方が、精神的にまいるよ』と言われたこともありました。
いろんな意見を聞きながら、私は正直『そうかなぁ~』と思うばかりです。
多分私は”無”になると思います。
以前に比べると、感情の起伏が激しいことはありません。
ただ、気分が重くひたすら時間が過ぎるのを、
ぼ~っと見ているだけです。
これはうつ病としては、良くないのかな・・?
先日主人にバイクを買いたいことを又言われました。
でも『もういいよ、私から言うのも疲れた、買えばいいんじゃない?』
と初めて容認しました。
長男のお金の管理も、放置しています。
カードも渡したままだし、お金をどう使おうが、
好きにすればいいと思うようになりました。
自分でもこんな無気力になるのは、
初めてかもしれません。


一昨年の3月に仕事を退職して、
『徹底的に体を調べてもらい、治すんだ!』と言って、
その後二度と治らないとわかり撃沈したけど、その時とも違う気がします。


検査入院で胃癌の疑いがある時も、
怖くて生きることに、もがき足搔いていた時とも違います。
主人の会社に来る生命保険の勧誘の人が、
しつこいくらい私に生命保険を勧めてきます。
3か月前に自殺未遂して入院したから入れないと言っているのに、
資料を何度も作ってきます。
私は速攻捨てましたけど・・・。
主人の会社の扶養家族用の健診の用紙も、
迷わず廃棄しました。
『どうせ一人じゃ健診なんて行けないでしょう』
『最悪癌になっても、治すつもりないから、入院時の保障なんていらない』
それが私の断る理由。
コロナワクチンも打ちません。
引きこもりの私がコロナにかかっても、人にうつす事はありませんから。

皆さまにとって良い一日でありますように🙏

ドライフラワー


優里 - ドライフラワー / THE FIRST TAKE
気分を害されると思われるので、どうかスルーしてください。


『ドライフラワー』を聴いて私の大罪の不倫のことを、
思い出さずにいられませんでした。
私達は毎日別れ話をしていたし、
3年の間に何度も別れました。
彼は当時29歳で、奥さんや家族にとても愛されていた人でした。
彼は(多分)統合失調症で、家庭と私の板挟みになり、
辛さで自虐行為を繰り返す人でした。
彼の中での家族とは、私の理想のような良き父親で夫でした。
私はそんな大事にされている、
奥さんとお子さんが羨ましくて羨ましくて、嫉んでいました。
でもその反面、私じゃなくて奥さんのもとに帰ったら彼は、
こんなにも彼自身を追い詰めることはしなかったと思っていました。
そんな気持ちが振り子のように、
毎日揺れ続けていました。
でも、毎日職場で顔を合わせていると、
頭では理性が働くのに、感情がコントロールできませんでした。
本来なら私は、彼の奥さんに訴えられても、
当たり前の人間です。
それを彼が、必死に止めていたのだと思いました。
と同時に、離れようとする奥さんと子供達を、
引き止め続けていることもよくわかりました。
私達はずっと3年間彷徨い続けていたような気がします。
でも確実なのは、私は奥さんと子供達を苦しめ続けていた事。
彼が出かけようとすると、奥さんが背中に包丁を突き付けてきて、
必死に止めようとしたことも。
彼の親や奥さんの家族に、彼が殴られたことも。
熱が出ている子供を置いて、
会いに来てくれたことも。
それでも彼が本当に純粋に、私のことを思ってくれていた事も。


『家族の元に戻りな』と彼に言うと、
『俺のことを何もわかっていない』と彼は自分の顔を殴り続けます。
顔じゅうから血が流れても、
まだ殴り続けます。
必死で止めないと、このままでは彼が死んでしまうのではないかと、
何度も思いました。
私の車には、彼の血の匂いが、
しばらく漂い続けました。
その顔で仕事に来るので、
彼の『階段から落ちた』と言ういい訳も、
上司も聞き入れなくなりました。
ある時、私の前で一人のパートさんが、
『〇〇さん普通の顔の傷じゃないわよ!ちゃんと話聞いた方がいいんじゃないの?きっと
精神的におかしいから』彼の直属の上司に訴えていました。
その上司は『わかったわかった』と話半分にあしらっていました。
その時、その上司も彼に精神疾患がある事を、
察しているのだと思いました。
彼は口癖のように『自分がおかしいのはわかるから、その部分を見せなきゃ誰にも気づかれない』と言っていました。
でも最後の方は、傍から見て誰もがわかるレベルで、
顔が腫れていたし、拳にも包帯をして様子が普通ではありませんでした。
元々彼はおしゃれでピアスを開けていたり、髪型も整えていて、
職場の私と同年代のおばさんには人気がありました。
それが『〇〇さんなんか最近賞味期限がキレちゃって残念君だね』と言われるように
なっていました。


そして彼の奥さんの方から、離婚話をされたと聞きました。
その時私も家庭を捨てようと、思うようになっていました。
でもふと次男と三男とレンタルビデオ店に行った時、
お金のことを何も考えずに無邪気に、選んでいる後ろ姿を見た瞬間、
『この子達は私がいなきゃダメなのだ』と頭の中を占領しました。
そしてこの3年間母親をしてあげれなかった、懺悔の気持ちが込み上げてきました。
その後私の携帯に知らない番号で『話したいから電話してね~』と酔っぱらった女性の声が
留守電に録音されていました。
それが彼の奥さんであると、気づいたのは数日後でした。
私は彼の奥さんに、背負いきれな程の罪を犯したのだと、強く思いました。
彼とはたくさん話して、奥さんが出した条件を聞き、
お互い職場を離れることにしました。
そして私は携番も替えました。
二度と連絡取り合わない為に。

山崎まさよし / One more time,One more chance
彼が最後に私に『俺の今までの気持ちの曲だから』と”山崎まさよし / One more time,One more chance”を録音してくれました。
しばくは喪失感から、私自身も正気を失っていました。
色褪せた思い出に変わるまで、たくさんの時間を要しました。
彼に似た人が幼い女の子と一緒にるのを見かけたら、
ずっと追いかけているし。
別れる時、彼の奥さんがすべてを捨てたいからと、
そこから引っ越す事も聞いていたのに、
彼の住んでいたアパートまで行った事もありました。
でも違う名前の表札を見て、我に返りました。


いっぱい悩んで、たくさんの人を傷つけてきました。
こんな経験は二度としたくありません。
一生悔い続けることになります。
私を見ればわかると思います。
罪を犯したら、必ず罰は返ってきます。
法に裁かれていなくても。
だからあの時、私の退職に貰った寄せ書きは捨てました。
思い出や罪は消えないけど、
せめて物は捨てていこうと思います。


気分を害される内容で申し訳ありません。
こんな私を、どうか心の奥底から軽蔑して下さい。

皆さまにとってより良い一日でありますように🙏